波多野均つれづれアート

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フランス式新年会、ガレット・デ・ロワ、王様のガレットどすえ

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  ちょっと連載中のブログはバカンスにして、・・・人生は変化球もないとおもしろくないので・・・さてさて、フランスの年明け新年会は、全然ございませんと言ってもいいだろう。年末のノエル・クリスマス前後から、プレゼント交換やおおみそかのカウントダウン・ダンスパーティでさんざんに飲んだり、食べたり、しゃべったりでフランス人全員、一月は非常にお身体もお財布も、お疲れぎみなのです。そして、毎年恒例の期間限定五週間のソルド・バーゲンセールが始まり、それどころではないのです。日常生活用品すべてのものがバーゲン、大安売りの対象になります。五十パーセント割り引きは普通、七十・八十パーセント割り引きと・・もともとはストック・在庫整理から始まったものですが、客寄せに目玉格安商品も放出されて、だんだんにエスカレートしています。さらに、バーゲンで込み合うのがイヤだというご婦人たちのために、インターネット上でのクリックバーゲン大合戦も盛んになり、本当に新年会どころではないのです。日本社会のように企業、会社、お友達なんかが集合しての居酒屋大騒ぎ、いえーい、どんどんいってみよーう、二次会はカラオケだぜーという新年会はありません。いやいや、そんなことはない。何かあるだろう・・と言われると、困ってしまいますが、しいて言えば、家族、親戚、友人が集まってのお祝いお菓子、ガレット・デ・ロワ、王様のガレットを食べることでしょう。西洋社会の伝統習慣はカトリック・キリスト教の土台の上に存在しているものですから、これは東方三博士の幼児キリスト礼拝にちなむ、カト(最近のフランス人はカトリックのことを、縮めてこう表現します)の行事のエピファニー・御公現のお祝いに、このガレットを食べる習慣があるのです。乱暴に言うと・・パテェシィエの人ごめんなさい・・二枚のパイ皮にアーモンドクリームをはさんだもの、つまりサンドイッチにして、その中にフェーブ・そら豆の意味・・今では小さな陶製で作った人形とか動物とかが入っている。このガレットを切り分けて、自分のお皿のガレットの中に、このフェーブが入っていると、その人がロワ・王様になり、金紙で作った王冠をかぶって、皆でお祝いするという庶民の家庭的お祭りのようなもの。この習慣は国家行事?にもなっていて、大統領官邸のサルコジ大統領のもとに、直径一メートル前後の超特大ガレット・デ・ロワが届けられ、大統領自らが、このお菓子を切り分けて、日頃お世話になっているスタッフに配るという様子がテレビニュースで報道される。・・・というものです。子供たち・・中学生や高校生はシードル・リンゴ酒・・お酒といってもアルコール度は低く、リンゴジュースのようなもの、大人はシャンパンで・・一月の各週の日曜日の午後に食べるフランス式正しい家族新年会なのです。                                                                                                                          この写真のガレットは近くのパン屋さんで買った、直径十五センチの二人用のもので、ナイフで分けると、中にハイヒールの陶製フェーブが入っていました。フランス値段は四ユーロ二十、日本円にすると五百円五十円ぐらい・・こういう庶民感覚って大切でしょう。一月のガレットの次の二月はクレープです。・・・フランス人の限りない食べ物に対するしつこさっていうか不滅さは、シャッポー・脱帽でーす。こういう季節限定ガレット写真もフランス庶民日常生活のアート感覚のひとつです。
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# by h-hatano-art | 2010-01-14 18:42 | Trackback | Comments(0)

プルコワ・どうして、パリなんかに来ちゃったのか・・・その3

雪の積もった早朝から、近くに住んで、よく知っているカメルーン出身のアフリカ系フランス人夫婦のアパートに行ってきて、・・・アフリカ・カメルーンの食材・食品販売のお店を経営していて、銀行融資の件での相談、不景気による経営難で店舗代金の支払いを春まで待ってもらうにはどうすればいいのか・・・まぁ、相談されてもすぐに解決とは、何もできませんが、夫婦の話しをよーく聞いてあげて激励っていうか、励まして・・取引銀行の係りの人に現状を話して誠心誠意でぶつかってみなさい・・と、ウチに帰ってきて、お昼のスパゲッティ用のポロネーズソースを作りながら、ブログを開けたら、・・・コメントに、早く続きをよみたいとリクエストが入っていましたので・・・コメ読者サービスのパート3                                                                                  今でもそうですが、当時、フランスに入るのには、二つの方法があり、一つはツーリスト、観光客としてフランスに入る。二つ目は、ビザを在日フランス大使館に申請してフランスに入る、とありまして、私たちの目的はパリのボサール、国立の美術学校に入るというか、入学試験を受けるためだったので、きちんとしたパピエ・書類が必要だったのです。観光客でフランスに入って、入学試験は受けられないからです。そのために第一段階でアリアンセフランセーズ、フランス国語の語学学校に入りますよ・・・渡仏先はフランス政府公認の語学学校ですよっていう文句を絶対に言われない正しい学生ビザが必要だったのです。六月の始めがボザール・美術学校の入学試験でそれを受けるには滞在している学生ビザが必要だったのです。渡仏前にあちこちと、書類を準備、そうとうに疲れました。在日フランス大使館の窓口のお姉ちゃんは、親切のひとかけらもないし・・・。さて、アリアンセフランセーズの寮は朝食、昼食、夕食とまかない付きでしたが、決められた時間に食堂に入らないと、あとは食事なし、まだ食べておりませぬ、・・と言っても係りのオバチャンは知らーん顔・・・軍隊システムと同じでした。シャワーも順番で、小さな部屋には机とイス、そして、小さな洗面台とトイレしかありませんでした。おまけに窓は鉄格子がついて・・ビクトル・ユゴーの小説、レ・ミゼラブルのジャンバルジャン的寮生活が始まりました。・・ちょうど昼食の時間になったので、スパゲッティの麺をゆでないと・・・もちろん、スパゲッティはイタリア人超オススメのBARILLA・バリーラのナンバー7セブンです。これはイタリアのトスカーナ地方のシエナの町に行った時に、地元のスーパーマーケットのパスタ売り場でイタリアの元気なマンマ、お母さんたちから直接、聞いたマル秘情報です。私の特技は、すぐに誰とでも話せ、ずーと昔から知っているようなオッサンだ・・ということで、カメレオン・ハタノともよばれています。・・かためにゆでた熱々のスパゲッティと、ポロネーズソースをフライパンに適量にとり、火にかけ、よく混ぜ、少し煮詰めること・・そう、日本の煮込みウドンのような感じにして自分好みのアルデンテ・かたさにすること、食べる寸前に粉チーズをかければ、もう、あなたはイタリアーノ、イタリア人です。ボナ・プティート、いただきまーす・・・一時のお昼のニュースも始まるし、エクスキューゼ・・続く・・・
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# by h-hatano-art | 2010-01-13 20:14 | Trackback | Comments(0)

プルコワ・どうして、パリなんかに来ちゃったのか・・・その2

今日のフランスは、昨日と同様に朝から太陽が出ず、こんな暗いなかでは仕事はできないのでパート2です。前回の補足をすれば、東京の美術学校の恩師のパリ行きアドバイスは、フランスで生活して、フランス人と一緒のテーブルで食事したり、会話したり、・・するなかで絵の勉強を続けなさいというものだった。恩師は若い時に、上野の美術学校から国費留学で渡仏し、フランスで生活した経験・体験をもっていらっしゃった。それは絵を描くこと、プラスアルファの経験・・・もっと世界をよく見て、人間的に成長しなさいというアドバイスだった。私はニューヨークでもよかったのだが、物事には何事も基本を学ぶという王道があるので、徹底的にフランス・パリでいろんな美術館に通い、絵を描く基本を学ぶことや、どうして絵を描くのかっていうことを考える時間、異文化の人々と会話して自分を知る事・・・今から考えるとフランスを選択したのは自分ですが、恩師の後押しがなければ、今の自分は存在していないだろうと感謝しています。人間の縁とは不思議なものです。                                                                                                               後先になりましたが、東京の美術学校のアトリエで一緒だった気の強い女の子・・今の女房のことですが・・私も留学するのだと、日本から同行ヤジキタ道中の渡仏だったのです。きっと女性連れだったから、そのフランス人の両親もウチに泊まりなさいと言ってくれたのかも・・・さて、そのフェルナンデス夫妻のアパートに一泊し、朝起きたら窓の向こうにはサクレクール寺院がおおきく見えたことを今でもよく覚えています。カフェオレとクロワッサンの朝食をご馳走になり、午前中にお父さんのロジェの自家用車でパリの街を北から南、右岸から左岸へと横断、日本から予約していたパリ六区のラスパイユ大通りのアリアンセフランセーズ、外国人のためのフランス国語の語学学校の寮に連れて行ってもらい、入寮・入学の手続きも手伝ってもらって、別れました。ちょうど五月のパリはスズランの香りとあたたかい小雨が降っていて、パリの街を初めて横断した「おいでませパリ」の美しい記憶は、今でも鮮明に覚えています。アリアンセフランセーズの寮は男女別に分れていて、私は一階のあまり太陽の射さない暗ーい、ひとり部屋・・窓には勝手に出入りできないように鉄の棒・・鉄条網がついていた。プリゾン・監獄のような狭い部屋だった。ウチのは、八階の二人部屋でドイツから来た女の子との共同だった。続く・・・
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# by h-hatano-art | 2010-01-12 18:48 | Trackback | Comments(1)

プルコワ・どうして、パリなんかに来ちゃったのか・・・その1

東京の美術学校卒業後、本当はニューヨークに行って、当時、流行のポップアート系のアクションペインティング・・デ・クーニングやジャクソン・ポロック等々の仕事の続きをしたくて、担任の先生に相談したら・・・西洋絵画の源は、ヨーロッパ、フランス、パリだとアドバイスされ、パリのボザール、美術学校で学ぶために、私費留学したのです。それは1976年の23歳の五月だった。当時の国際線は羽田空港からで、格安料金のアイロフロート便のパリ行きチケットを買い、軍用機を改造したような、旧ソビエトの飛行機はモスクワを経由してパリに入るというものだった。モスクワで一度、飛行機から降され、一時間ばっかしの待ち時間あった。最初のカルチャーショックは、トイレに入ったら、お隣りとの仕切りがなく、西洋式のトイレが天井の高い、大きなホールにずらりと並んで、まる見えっていうか、羞恥心なしというか、トイレ全体がシュールな感じ現代美術展示空間のようだった。明るい内、夕方前にはパリに着く飛行機だったのが、遅れに遅れ、夜の十時すぎにシャルル・ド・ゴール空港に到着した。初めての外国で、そんなに満足に言葉もできず、その上、真っ暗な夜に着くなんて・・・不安でいっぱいになった。偶然、ちょうど同じ飛行機に東京の美術学校でフランス語を教えていたフランス女性の両親・・日本旅行からの帰り・・が搭乗していて、今日はもう、遅いからウチに泊まりなさいと、親切に言葉をかけてくれた。住所を書いてもらつて、別々のタクシーに乗り、夜のパリに入った。ところが、タクシーの運ちゃんが住所の番地を間違えて、とんでもない所に降ろされてしまった。五月始めのパリはストの真っ最中で、大通りにはゴミの山・・・どうしょうと、カフェを探して、電話をかけようと思い、カフェのオヤジが・・電話をするのなら、ナントカ、カントカと早口で言っている。・・ゆっくり、お話して下さらないでしょうかと、東京で習いたての正しい山の手言葉のおフランス語で言ったら・・・目を丸くして、・・・電話するなら専用のジュトン、コインを買えと、何度も言っているのを理解した。当時のフランス国内公衆電話は、お金を入れる代わりに電話専用のコインを入れて初めて通話できるのであった。電話はどういうわけか、かからず、時計をみたら、十二時前になっていた。カフェから出て、真夜中近く、路上にトランクを持って呆然と立っていたら、先ほどの飛行機で一緒だったフランス語の先生の両親が心配になって車で探しにきてくれたのだった。地獄に仏とは・・を身をもって経験した。後で、知ったのだが、タクシーから降りた所は、パリの北、十八区のポルト・クリニャンクールという、ノミの市で有名な不良のアンちゃん達のたまりば・・治安があまりよくないアブナイ犯罪ゾーンだった。続く・・・
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# by h-hatano-art | 2010-01-11 19:40 | Trackback | Comments(1)

メゾン・ド・ショコラのショーウインドー飾りつけアート

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先週からの雪が降り続け、フランス全土が大パニック・・・ブルターニュ、ノルマンディ、そして、南西のトゥールーズやボルドー、南東のリヨンやグルノーブルと・・・パリ郊外も雪だらけだ。オートルート、高速道路が閉鎖され、地方からの農作物流通の長距離トラックはストップし、オルリー空港やシャルル・ド・ゴール空港も欠便が続出、緊急病院の救急車の変わりに軍隊の装甲車が出動するありさま、庶民生活ではマルシェ・朝市やスーパーマーケットの野菜類・・長ネギ、人参、サラダ菜、ブロッコリー等々の値段が急上昇やストックなし、そのうちに牛乳やヨーグルトの乳製品、他の食品にも影響があるだろう・・・アメリカの大寒波が大西洋を渡って、イギリスを襲い、そして、今度はフランスの大寒波・・落語の「風が吹くと桶屋が・・・」の、全部がつながっていることをまざまざと知る新年となった。その原因は今では誰でもが知っている地球温暖化、次の世代の子供たちに、住みよい地球をバトンタッチすることができるのだろうかと、考える新年だ。ちょっとマジになって考え、自分なりに行動しなければ、このかけがえのない地球は変化・変化の中でカタストロフィの道を突っ走ってしまうかも知れない。消費社会は非常に便利だけれども、地球に住んでいる人間ひとりひとりの消費コントロールが必要だ。このラインをこえたらおしまいよっていうルールを作らないと、人間は無制限にエネルギーを消費してしまう。自分の身の回りのエネルギー消費コントロールが大切です。・・・というわけで、ウチではTV、CDコンポ、電子レンジ、PC関連器具、等々の電源コンセントは使用する時に接続するように習慣化した。暖房も室内温度、二十度を目安にして、日中は暖房をつけないようにしている。小さな身の回りからの地球温暖化対策です。                                                                                                                          超マジブログになっちゃったけれども、地球がカチカチ山になる前に、お尻に火がつく前に誰でもが考え、行動しなければならないことだ。この写真は、パリのショコラティエ・チョコレート屋さん、メゾン・ド・ショコラのショーウインドーのディスブレです。フランスのチョコレート屋さんは、なかなかのアートをしているでしょう。フランスのお隣りのチョコレートの本場ベルギー・・とベルギーの人たちは自慢しているが・・では、一人の年間チョコレート消費が、なんと平均して四キロ。年末にベルギー・アントワープに長く住んでいる女性から地元アントワープの老舗店のチョコレートの詰め合わせをプレゼントされた。DEL REY デル・レイというお店で、・・東京・銀座五丁目のあずま通りに支店がある・・プラリネ、詰め物チョコレートだ。チョコレート好きの人なら、一度はエッセイエー、ためしてみる必要があるものだ。いただいた詰め合わせチョコレートは一キロ近くもあり、美味しすぎて、毎日、一粒ずつ・・歯の調子がよくないので、それ以上食べると夜中にオスクー・助けてくれーと、歯が痛くなる・・消費・食べているところです。こっちの消費もほどほどにしないと、・・どんな事でも自然界のリズムやものごとには節度が大切だという意味での・・すべてが過ぎたるは猶なお及ばざるが如し・・そして、危険注意のアラームが鳴り始めているように、小事は大事という、昔からの人類の叡智・智恵を、今一度、ひとりひとりが心から深く考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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# by h-hatano-art | 2010-01-10 00:25 | Trackback | Comments(0)