波多野均つれづれアート

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ドクター・レノリイのファミリー、家族のこと。

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今朝、傘をさして八時前の散歩をしていると、夜明けから降っていた小雨がみぞれになり、外に駐車してある車のフロントガラスがカチンカチンに凍りつき、出勤前にそれをガリガリと削っているフランス人はイライラしている。これはフランスの冬の朝に見られる日常的な風景だ。今週末から、カーニバルが始まるというのに、暗ーい二月の朝だ。・・冬去り、春来る・・は、まだまだ、先のことだ。先週末の土曜日の夜、朋友のドクター・レノリイ夫婦・・フランソワとキャロリーヌ・・そして、フランソワの八十歳になるお父さんのジェイ、三人をアパートによんで、一緒に食事をした。フランソワは、開業している総合医・・フランスの医療システムは、まず、この総合医に診察を受け、それから、薬局で総合医の指示した薬を処方してもらうという、非常にめんどくさいシステムになっている。日本のように薬局で簡単にお薬は買えない。必ず、医者の診断書が必要だ。健康保険証明・・カード化された。・・を持っていないと、診察も受けられないのだ。そのカード化された健康保険証明を病院や開業医の専用コンピューターにアクセスすると、いままでの診察データーや治療費がずらりと出てくるのである。便利と言えば便利だが、個人の健康プライバシーが、たった一枚の健康保険カードの中に入っているのである。・・・以前、菩提樹にハシゴをかけ、電気ノコギリを使って枝を伐っていた時に、ハシゴが動いて、誤って右手を深く切ってしまったことがある。緊急病院に行き、まず、受付で聞かれたことは、この健康保険証明を持っているか、っていうことだった。本人は顔面蒼白、右手からボタボタ大量の血が流れ、落ちているのに・・・治療よりも、この手続きが大切なのだ。・・・いろいろとフランスシステムを経験しております。さて、三人を食事に招いた理由は、フランソワのお母さんが亡くなって、今年の一月で七年あまり経ったからだ。フランソワのお母さんはアルツハイマーで亡くなった。彼自信、医者であるからアルツハイマーの最後の状態がどうなるのか、よく知っている。その母親の葬儀には、朝から、われわれ二人も参加した。フランスの葬儀に立ち会ったわけだ。セレモニーが終わり、父親のジェイの家で、故人をしのぶ内輪だけの家族の集まりにも参加した。葬儀の日は、朝から春のように晴れた暖かい一月の日だった。・・・続く・・・。写真は、アントニーの朝市、八百屋の店先・・手前から、人参・ナス・クージェット・赤ピーマンなどなど、・・日本のものと比べるとずい分と大きい。こういう野菜はスペインからやってくる。・・もうひとつの写真は、朝市のパン屋さん、昔ながらの大きなパン・カンパーニュ、田舎パンをフランスのおばあちゃんが買っている・・・この田舎パン、ひとつで一週間分です。・・・窓の外を見ると、雪が降っている・・・
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# by h-hatano-art | 2010-02-09 18:34 | Trackback | Comments(0)

どうして、パリなんかに来ちゃったのか・・・その8

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油彩画 55X46         ・・・歌を忘れたカナリアは、うしろの・・・と、言われそうなので、17世紀の巨匠・ルーベンスの水彩デッサン画をもとに、自分なりに色をつけ、油彩画にしたものを今回は、ご紹介します。美術のグラン・マスター、巨匠たちの絵から、学ぶものはたくさんあります。・・温故知新、おん・こ・ち・しん、ふるきをたずねて、あたらしきをしる・・大先輩のその時代、時代の仕事の中に、きらめくような未来へのメッセージがこめられていることがあります。それに、気がつくか、気がつかないか、・・何を見ているのか、何を見ようとしているのかは、その人なりの生き方です。なにげないものの中に感動することがあるようなものです。・・ちょっと、フィロゾフィ・哲学的ブログになってきましたが、続きものの・・・パート8です。さて、人間には、どんなところにいても、どんな環境の中でも、大切なことは、衣・食・住・・この三つが満足すれば、どんなところでも、どんな環境の中でも、生きていけます。海外の生活でも、この衣・食・住が非常に大切なものです。まぁ、私は絵描きですから、一年中、同じものを着ていても、別に、不自由は感じません。女子だったら、お服の着せ替えリカちゃん人形やバービー人形的な、季節に合わせてのさまざまなコスチューム・服が必要でしょうが・・・あたりまえじゃんと言われそう・・。住まいは、前回のパート7で書いたように、一年間、パリの南郊外にアパートを借りることになり、最後の食・・・毎日の食べていく生活が・・・病気にならないためにも、健康であるためにも、非常に大切なことになります。アパートの鍵をもらって、第一の買い物は、台所用品や寝具をパリのどこで調達するかっていうことでした。いろいろな人に、パリの日常情報を聞くと、・・・ノミの市で買えばいいじゃん・・っていう情報が多かったので、週末のある土曜日の朝、パリの東郊外、ポルト・ド・モントーユに日常雑貨を売っている市場があるというので、相棒の彼女と行ってみました。ブロキャン・がらくた市のような、ドロボー市のような屋台ふうの出店がメトロのすぐそばから、ずらーと並んでいて、アラブ人とかアフリカ人のおっちゃんたちが買い物をしている。・・・第二次世界大戦後、フランス社会は労働力不足のために、フランスの旧植民地、北アフリカや中央アフリカから、多くの移民労働者とその家族を受け入れた。その結果、イスラム教の信者がカトリックの信者につぎ二番目に多くなった。その現実は、今日のフランスでは、アイディンティティ・ナショナル・・フランス人とは何なのか、フランス文化とは何なのか・・・という大きな社会問題になっている。・・・ここは、一体、パリなのか、どこなのかっていう、・・クスクスとかアラブ菓子を始めとする食べ物屋やスパイスなんかを売ってる食材屋もあり・・とんでもないバザール的な市場だった。二人の所持金も限られているので、包丁セット・・・半年で壊れた。・・・安い型押しガラス製のお皿とお椀のようなもの・・・すぐに壊れた。・・・と、ペラペラの大型マットレス・・・一年もたつと、ペッタンコになった。・・・とかを買った。それも、値切りに、値切って買った。今だったら、超簡単にIKEA・イケアなんかで買えるのだが、そんな便利なお店は当時、フランス・パリにはなかった。さて、その買ったものをどうやって、パリの東郊外から、パリの南郊外に運ぶのか・・・メトロと郊外線しかないのです。じろじろとメトロの乗客に見られて、運びました。とくに、大型マットレスが、目だって、せまい改札口を通過するときが困りました。こうやって、アリが少しずつ、自分たちの巣にエサを運ぶようにして、フランスでの生活が始まりました。・・・続く・・・
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# by h-hatano-art | 2010-02-08 07:30 | Trackback | Comments(0)

パリ交友記、ペルソナージュ・人物紹介、その4

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辻君のガールフレンド、緒方遼子さんとの初対面の挨拶も終え、アントニーの朝市の魚屋で買った、新鮮なサバとイワシ・・もちろん、お塩とお酢でしめたものです。フランスに留学にきた日本人の女子で、しめサバのことを、・・しめサバっていう種類のお魚が海の中に泳いでいると、ずーと、信じていましたっていう女の子がいた。マンマ・ミイア・・だった。フランスで一人自炊生活が始まって、お米を台所洗剤で洗って、炊飯器がアワだらけになって驚きましたっていう留学中の女子もいた。笑っちゃうでしょうが、これが現代日本女子の現実なのだ。・・・のおさしみを前菜にして、食事が始まった。辻君も緒方さんも、二人とも食べる事が大好きだから、白ワインを飲みながら、パクパクと食べてくれた。職場のことや、二人の生活のことや、彼女の実家・熊本のこと、なんかがお話しのテーマになった。熊本に住む、彼女のおばあちゃんとお母さんは、地元でレストランをやっているということだった。幼い時から、そういう生活に接していれば、彼女がお菓子作りの道を選んだのも当然の結果だったと思った。彼女が急に、・・ハタノさんって、司馬遼太郎が好きなんですか?・・うちのアパートは狭いけれども、活字中毒患者が二人いるので本だらけだ。画集、絵のカタログを中心に、入り口からリビングの中まで、本棚・・雑多な本で埋まっている。その中に、司馬遼太郎コーナーがあり、「街道をゆく」43巻とか・・・あったのだ。・・・熊本の母は、司馬遼太郎の本の大ファンで、・・・私の名前の遼子も、司馬遼太郎からきているんですよ・・・フランスで三十年以上も住んで、フランス人と交流すると日本に関する質問だらけだ。日本の歴史、伝統、習慣、・・等々、質問ぜめにあう。ある時、フランスの田舎に行って、地元のフランス人の壮年とお茶していたら、・・ニンジャ・忍者とは、ケス・ク・セ、なんなのか?アイヌのひとたちは源日本人なのか?って聞かれて、困ったことがある。・・そういうこともあって、司馬遼太郎の本を読むようになった。二人のこれからの目的や夢・・を聞いて、会話が弾んだ。寡黙だった辻君は、明るくなり、彼女と一緒にいるのが楽しそうだった。・・・じゃあ、将来は帰国して、東京のどこかにお店をオープンするのが、二人の夢なんだ。いいじゃん。どんどんやれよ。・・・コチジャンで真っ赤にそまった海鮮鍋を皆でつつきながらの楽しい時間だった。・・・まぁ、貧乏絵描きで何もできないけれど、フランスから応援してるよ。二人とも絶対に出世しろよな。じゃあ、乾杯だあ。プール・グラン・ビクトワール、人生の大勝利のために・・・。                                             フレンチレストラン、KOST・コストの紹介。東京都世田谷区奥沢6-28-10、          Tel.03-3704-4417、自由が丘駅から東急大井町線ぞいにある。http://www.kost.jpにアクセスするとベターです。東京に住んでいる方、食べに行ってみて下さい。フランス料理シェフの辻君とパティシェ・シェフの遼子さんがいるお店です。・・・写真は、アントニーの市場の魚屋のエビ、クラベット・ローズと花屋さん・・・フランスのお父さんは、買い物カゴをさげて、お母さんのためにお花も買っちゃうのだ。日本のお父さんたちも、しっかり・・・・サン・バレンタイン・デーも近いし・・・。辻君と遼子さんに、一周年記念のお祝いに、最近よく聞いている歌・・YouTube-AI-Storyを贈ります。
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# by h-hatano-art | 2010-02-05 18:27 | Trackback | Comments(0)

パリ交友記、ペルソナージュ・人物紹介、その3

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辻君はヴァンドーム広場近く、チュイルリー公園寄りの二つ星レストラン、「キャレ・デ・フィヨン」で働き始め、・・最初はオードブル・前菜係り、そして、魚料理をまかされ、スー・シェフ、シェフの次・・になり、お給料もグンとアップした。先輩フランス人から、料理のことで「メルドー、くそのこと」とか、「サロー、バカヤローのこと」とか言われ、ずいぶんと、どなられもしたらしい。さすがに、フライパンや銅鍋は飛んでこなかったが・・このレストランはフランス南西部のランド地方の伝統料理をモダンにアレンジしているものだ。コック修行としては、厨房、レストランの室内、ワインカブ、サービス・・・すべてが、メイド・イン・フランスの一流中の一流であるから、ずいぶんと勉強になったと思う。そういう場所で働く事ができることが料理人にとっての幸福なのだ。彼の定休日が週末の土・日だったので・・辻君のガールフレンドの緒方遼子さんとは、日曜の午後・・・彼女の勤め先は一年中無休のブラッスリー・レストランだったので・・・彼女のお昼の仕事が終わった後に、パリ南郊外のアパートに連れてきた。・・・はじめまして、遼子です。・・・彼女、緒方遼子さんは1974年、九州の熊本生まれ、2002年に渡仏・・その前は、八王子の方で馬の調教の勉強をしていたとのことだった。彼女がそのまま馬の調教を続けていたら、今頃、阿蘇山ふもとの高原・やまなみハイウェイあたりの牧草地で馬に乗っていたかもしれない。パリのル・コルドン・ブルー、フランス料理学校のプロフェッショナルコースに入学し、お菓子作りを学んで、・・フランス語の勉強も同時にして・・プロのディプロム・資格を取り、フランス社会で就職、パリ六区の「ラ・ロトンド」ブラッスリー・レストランで働いて・・・デザート部門のシェフとして、彼女も高額給料をとっていた。絵の世界でも、料理の世界でも、どんな世界でも共通することは、まず、その世界の基本・基礎を学ぶことが大切です。つまり、フランス語でも、Aアー・Bべー・Cセーを知らないと、しゃべれないのと同じで、まず、どこか学校に入って、学ぶことが必要です。時間がかかりますが、あせらないことです。男女の性別や年齢には関係ありません。いえることは情熱や勇気があるか、ないか、です。情熱や勇気を生涯、持ち続けることが出来るか、出来ないか、です。クマソの地・・九州人ごめんなさい。・・九州・熊本・・肥後の女子と聞いていたので、さぞかし、カラクテール・気の強い女子だろうと思っていたら、人情味のある、涙もろい女子だったので・・オララ(フランス人が驚いた時に使う・・)でした。プロの料理人が二人なので、フレンチは毎日、食べているだろうから、タテメシ・・日本食のこと、・・海鮮鍋料理を用意していました。・・・続く・・・写真は、モンパルナス大通りとラスパイユ大通りの交差しているメトロ、ヴァヴァン駅の上にある、赤い日差しよけのテントが目印の彼女が働いていた「ラ・ロトンド・・円形の建物の意、又は、乗り合い馬車の雰囲気のような小部屋」、地元のパリっ子でにぎわっているブラッスリー・レストラン・・・庶民の生きているパリの感じが伝わってきそうでしょう。赤い日差しよけのテントの上の階は、サルトルの生涯のパートナーであったボーヴォワール女史の生家。
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# by h-hatano-art | 2010-02-04 19:14 | Trackback | Comments(0)

パリ交友記、ペルソナージュ・人物紹介、その2

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君とはそれから、彼の働いているレストランのお休みの日に、アパートによんで食事をしたりして、時々、会っていた。月日が流れ、・・新しい職場・・二つ星のレストランで働くのだと、ある年の夏のバカンス前に連絡があった。・・・フェリシタシオン・おめでとう。よかったねー。・・・彼は夏休みに一時帰国し、九月から、ヴァンドーム広場近くの二つ星のレストランで働くのだと、元気一杯だった。その年の夏も終わり、辻君も元気で新しい職場でがんばっているだろうと思っていたら・・・九月のある土曜日の夜遅く、辻君から電話があった。・・・パピエ、滞在証明の件でトラブって、国外退去の通知がきたのです。・・・そうか、わかった。明日のお昼にうちに来なさい。その国外退去通知も一緒に持って、対策を考えよう・・・翌日、お昼のカレーライスを食べながら、辻君からどうしてこんなことになったのかと、今までの経過を聞いてみた。・・・以前、勤めていたレストランをやめ、滞在証明が切れかかっていて、夏休みに日本に一時帰国し、フランスにもどってみたら、次の勤め先のレストランの労働証明がなかったので、自動的に延長の滞在証明がなくなってしまっていたということだった。・・・じゃあ、新しい勤め先、二つ星レストランのパトロンに事情をよく話して、多分、二つ星のレストランだったら、専属の弁護士がいるはずだから、弁護士に仕事を始める証明の手紙を書いてもらって、よく相談して対応しなさい。・・・わかりました。そう、やってみます。・・・それから、一週間ぐらい経って、辻君から元気な声の電話があった。・・・パピエ、延長の滞在証明が取れて、念願の二つ星のレストランで働けそうです。・・・そうか、よかった。心配してたぞ。・・・実は今回、友達にもいろいろと助けてもらって・・・じゃあ、今度、その友達と一緒にシャンパンでもあけて、お祝いの食事をしょう。うちに連れてきなさい。・・・と、いうお友達が、辻君のガールフレンドの緒方遼子さんだった。・・・続く・・・写真はオペラ座広場から見た、ヴァンドーム広場・・この広場には、フランス政府の司法省があり、ダイアナ妃の最後の出来事で一躍有名になったリッツホテルを始め、超有名宝石店がずらりと並んでいる。リッツホテルの裏には、シャネルの本店があり、エルメスの本店がある高級ブティック街、サント・ノレ通りもすぐ近くだ。辻君の働いていた二つ星のレストランは、ピンからキリの尺度でいうと、ピンの方の・・こういうお店で買い物をするお客さんたちだった。
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# by h-hatano-art | 2010-02-03 07:48 | Trackback | Comments(0)